2012年5月12日土曜日

イメージ と 再自覚


いよいよ天気がよくなってきた。



嬉しいかぎりです。


ところでこんなニュースを見つけた。




「世界に良い影響」日本トップ…BBC読売調査


http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080116-907457/news/20120510-OYT1T01606.htm
(最終閲覧日:2012.5.11)


この記事によると、英BBCが22か国で実施した世論調査で日本が対象国のうち最も「世界に良い影響を与えている」国だったという。





日本がトップに選ばれたことについては悪い気はしない。
むしろ嬉しく思うのが普通やよね。



さて、この調査結果はどう考えればいい?

もちろん対象となった人たち皆が国際社会に通じた識者というわけはないやろうから、ある程度のイメージで「良い」「悪い」と判断したはず。
そのイメージは日々のニュース、歴史的背景、対象国に友人がいる等々が組み合わさってできている。


このイメージってのは相当やっかいなもの。




はい、でました。

カナダに持ってきた数少ない本の1冊『日本の思想』
この本の第Ⅲ章「思想のあり方について」をひもといてみます。


イメージってのは人間が自分の環境に適応するために用いるいわば「潤滑油」のようなもの。

ある程度のイメージが事前にあれば他人、他の文化など何に接するにしても、ショックを受けずに済むから。

こうしたイメージは大なり小なり現実と食い違っているもので、日々それを修正・更新しながら人間は社会で生きている。




ところが現代では日常生活において視野に入ってくる世界がどんどん広くなり、自分の手の届かないような世界についても、考えたり判断を下さないといけない。

そのためイメージに大きく頼らざるをえなくなっている。

さらに手の届かない世界のイメージは修正・更新が容易ではなく、イメージが現実と大きく乖離していることに気づくことも難しい。




イメージは人々と現実の間で厚い層となってしまうときもある。

ときに潤滑油だったイメージは人や文化など対象のまわりにまとわりつき、固定化し厚い壁をつくり始めてしまう。






このことを常に忘れずに、と丸山は言っている。

俺もイメージでものを語ることはなるべく避けているつもりで、イメージで何か語るときも必ず自分のイメージによるものだ、とことわってから話している。



とくに避けたいと思っているのは「日本人論」「日本文化論」を語ること。
1億2千万の総体について誰が語ることができようか。


でも日本人論は避けては通れない道ってこともわかってる。

俺が異文化について知りたいのと同じように、「何で日本人って―なの?」と聞かれる場面はほんとに多い。

そのときは自分の考えを話しつつも「ああ、また根拠もないイメージで語ってるな」と自覚していて、あとになって悩んだりする。




別な場面では日本人との会話において「○○人って―だよね」っていう表現を使ってしまうこともあり、こっちでも自己嫌悪。

でもイメージは持たずにいられない。




どうする?


やることは前から変わってない。


日本文化、異文化について深く知ることで、現実のまわりで固定化してしまったイメージをぶっ壊し続けること。


それしかないよね。

再自覚。




それも文化なんて大きなものを語ろうとしたら並大抵の知識じゃ追いつかない。

日本人論にしても一国の人間をひとまとめにして語るなんて不可能じゃないかとも思う。

1つの事象についてすらイメージの壁を壊し、現実の事実を把握するのはめちゃめちゃ難しいのに。



でもやるしかないよね。
とにかく実態にできる限り近づくこと。




久しぶりに固めなブログでした。
考えてることはもっといっぱいあるんやけど、いざ文章にしようとすると難しい。

まだ書き足りないけど疲れたから今日はこんなもんで。また後日これについては書きたい。

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