2012年6月26日火曜日

Steveston と Japanese Canadian


昨日の補足だけ少し書きます。

なぜスティーブストンに着目したか。

ハンドル回すと、人形が鮭に包丁いれるおもちゃ。『鮭はみんなのもの』だったかな。


その理由は日系カナディアンにあります。

日本とカナダの関係についてピンとくる人はあまりいないんじゃないでしょうか。
かく言う僕もそうでした。


でもスティーブストンは日本と強い関係があった。


鮭の缶詰業には多くの季節労働者が必要であり、日本人で初めてカナダへ渡った永野万蔵もフレーザー川河口で鮭漁に従事していた。


1888年、和歌山県日高郡三尾村(現美浜町)から工野儀兵衛は単身カナダへ渡り、スティーブストンの様子を郷里に伝えた。

これがきっかけで三尾村からは多くの日本人が渡加し、スティーブストンで日本人社会を築き上げた。




WWⅡにより一時は消滅したものの、スティーブストンには日系カナダ人のコミュニティが現在でも残っている。



ひさしぶりに日研の血が騒ぎ(?)、話を聞いてみたいとも思ったけれど、実際のところ多くの日本人たちは各地へ引っ越してそれぞれの暮らしをしており、スティーブストンにはもうあまり残っていないらしい。


日の丸とサーモン

ちょっと見ただけでは日本との関わりがまったく感じられない村。

でもヨシダストリートやハヤシストリートなんて通りがあったり、日本語学校があったりとその跡はしっかり残っている。


ちなみに三尾村は通称アメリカ村と呼ばれており、今でも美浜町三尾地区にはアメリカ村があるそうな。
カナダなのにね。



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